礼拝説教

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東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二二年 一月 二三日 第二二二八号
「光の武具を身につける」 ローマの信徒への手紙 一三章一一節~一四節

 新型コロナウィルスの感染者は昨年末までに順調に減ってきていましたが、この二週間でまた一気に増えてしまいました。蔓延防止等重点措置が再び発令され、また不自由な生活に逆戻りです。ただし目の前にある災害を無視する訳にはいきませんので、折角再開した礼拝後のお茶の会もまたしばらく中止となります。支区や他の集会なども軒並み中止や延期になってしまいました。やるとしても全部オンライン。本来なすべきだったことが出来ない事が出来ない事で、どうも嫌な気持ちが増えています。
 今の時代は閉じこもりがちになるため、心に悪いものが溜まりやすいことを考えてしまいますね。外側から来るプレッシャーで心が圧迫されます。
 心理学的に言うと、人の心は思った以上に強いのですが、それでも継続してストレスが与えられ続けると心が悪く変わってしまうものだそうです。
 ですから過度なストレス長期間受けないようにする方が良いのですが、そうはいかないため、ストレスに負けない心を作ることが重要になっています。ただ、実際にはそのような強い心の作り方が分かりにくいものでもあります。
 実はそう言うストレスに負けない心を作るために重要なものを人は昔から持っていました。それが宗教です。キリスト教はその筆頭ですが、古くからある伝統的な宗教は全て心を強くするプログラムというものが必ずあります。古来強いストレスから身を守る方法として信仰を受け継ぐという側面がありました。
 信仰は心を強める何よりの特効薬でもあります。
 本日の聖書箇所を読んでみましょう。まず一一節には「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」とあります。この解釈は二通りあります。一つは、終末は近くに来ているために、今信仰に目覚めた人は心構えをしなければならないというものです。パウロの活動当時は終末はほんの数年後にやってくるのでは無いかと思っていた人が多かったらしく、キリスト教が爆発的に増えたのも、その危機感があったからとも言われます(1)。キリスト教における救いは、心から神様を信じることによるものです。備えというのはそれだけですが、それをしっかり用意しておくことで、いつでも終末が来る用意をしていくというものです。ですから終末を視野に入れて、緊張して生きよというものになります。
 もう一つは、「眠りから覚める」という言葉を、信仰に目覚めるという言葉として捉える考え方です。この場合、どんな時代にとらわれず、神様と出会って信仰を受け入れたものは、まさにその時が目覚めの時だという解釈です。信仰に入ることによって、救いに近づいているという事を語ります。この場合は終末はあまり意識されません。むしろこちらの解釈ですと、今の苦しさに耐える恵みを信じなさいという意味になります。
 いつ終末が来ても良いように緊張して生きること、そして今与えられているストレスやプレッシャーに負けない心を持つようにと言っている考えとしてはどちらも重要ですが、今のキリスト教を考えると、二つ目の解釈の方が普通となりますね。つまり、生きている限り私達は常にストレスを感じ続けていますが、神様を信じると言うことは、そのストレスに耐える力を与えられるという意味で考えられます。
 次の一二節には「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」とあります。神様を信じることは、光の武具を身につけることとされています。
 武具というとつい攻撃するための剣のことを意識しがちですが、ここで言う武具とは身を守るものと考えるべきです(2)。あなたがたはあらゆる攻撃から身を守る鎧を持っていると語っています。神様を信じると言うことは、その鎧を手に入れたということになります。
 次の一三節に、闇の力というものが書かれていますが、光の武具を身につけるために、闇から身を離しなさいという意味になります。その闇とは、「酒宴と酩酊、淫乱と好色」と書かれています。闇というのは外から来るだけでなく、人が呼び込む事もあることを示しています。お酒を例に取れば、酒を飲むこと自体は問題ないですが、激しく酔っ払うことで理性を失ってしまうと、人を傷つけるような言動を取るようになります。到底それは愛の行為とは離れてしまいます。淫乱と好色は言うまでもありませんが、これらは全て人が理性を失うことを意味します。
 信仰を保つことの重要な部分はそこにあります。自分を失わずに、心から神様を信じること。これが光の武具を身につけるためのものです。
 更に一四節に「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」とありますから、肉体の欲望に身を任せてはなりませんよ。ということになるでしょう。
 キリスト教は他の宗教と較べて禁欲、つまり欲を抑えることはあまり言わないのですが、ここでははっきりと自分自身を失うほどの欲望に身を任せてはなりませんとは言っています。理性を失うと言うことは、闇を自分自身で呼び込んでしまう行為だからです。ある意味では宗教的な恍惚感というのを止めているところもあるのかもしれません。神様を愛するあまりに理性を失ってしまったら本末転倒ですから。
 闇とは、外から無理矢理自分を押し包むものと、逆に自分が呼び込むものがあります。それに対抗するために、神様を心の中に受け入れることが重要なのです。神様を愛する心というのは、あくまで冷静な心が必要であると言うことです。
 私達は苦しい時に理性を失うことで苦しさから逃れようとすることがあります。時として人生には必要な時もあるのかもしれません。でも、そこに陥る前に、それ以上に重要なものを神様から託されているという事も心得ておくべきでしょう。
 私達には聖霊が与えられています。それは神様が私に力を注ぐ大切なものです。心に神様の力を受け入れられるように、心を整えておくことが大切です。
 自暴自棄にならず、自分を失わないようにして神様を信じることこそが最強の防具であるということになります。その上で、私達は闇からの攻撃に耐えることが出来ます。闇と戦う事が出来ます。神様はその力を与えてくださいます。その事を信じていきましょう。
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