礼拝説教

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇一九年 四月 一四日
 「オリーブ山での祈り」 ルカによる福音書 二二章 三九節~四六節

 イースターの一週間前となり、本日から受難週を迎えます。教会暦によれば嘆きの週とされます。その痛みを心の中で少しでも覚えることが出来ますように。そして本日と来週の二回は教団の教会暦に合わせた聖書箇所からの説教とさせていただきます。
 本日の聖書箇所はルカによる福音書で、ゲッセマネの祈りについて描かれた箇所です。ゲッセマネの祈りはヨハネによる福音書を除いた三つの福音書で描かれるところで、エルサレムに入ったイエス様が逮捕直前にゲッセマネという場所で祈ったとされる箇所です。正確にはルカによる福音書はゲッセマネではなく、ゲッセマネがあるオリーブ山での祈りとされていますが、内容は変わりありません。
 ここでのイエス様の祈りはとても有名なもので、絵画になってることも多いです。私が前にいた教会では会堂にも飾られていたくらいですし、ネットで画像検索してみると、いろんな種類の絵画が見つかりました。
 イエス様のこの祈りはとても重要なものなのです。
 その重要な点とは、これはイエス様にとっての決断を意味した祈りだったからです。
 私たちの人生において何度も決断をしてきました。生きると言うことは常に決断を強いられると言うことです。東日本大震災のことについて書かれた本などを読みますと、どうして良いのか分からない中、生きるための決断を強いられ、それがストレスになってる人というのもありました。
 事故や災害に限らず、私たちが今ここにいるのは、人生の場面場面において決断を続けてきた結果です。その中でイエス様を信じる決断をしたことが、人生において最も優れた決断だったと思いますし、それを誇れるようになりたいものです。
 そしてこのオリーブ山でのイエス様の祈りは、十字架へと向かう覚悟をつけたという、決断の時になるかと思います。
 この教会では現在ヨハネによる福音書の連続講解説教を行っていますが、その中で民衆の求めるイエス様の姿とイエス様ご自身の決断は異なるものだとお話ししました。確か二週間前だったかと思います。
 民衆の求めるイエス様の姿とは、神の子として、王としてユダヤの民を導き、永遠に君臨して下さることでした。この場合、イエス様を信じ、イエス様の元に集う人々は、この世界に生きる限り幸せな人生を送ることが出来ます。
 対してイエス様の答えは、ご自分が十字架に付くことで、この目に見える世界ではなく、魂の存在として、人々に永遠の命を与えようというものでした。
 イエス様がこの世界に来られたのは十字架に付けられ、自らの血を用いて人々に永遠の命を与えることでしたが、この世界にとどまって、限られた人を相手にこの世的な救いを与えること。イエス様には実はその選択肢もあった訳です。
 特に心が清く、人々を幸福にしてあげたいと望み、その力を持っているとしたら、目の前の不幸な人々を救う事が出来ます。自分の目の前に現れた、苦しむ人の病気を癒やし、あるいはその心の痛みを取り去ることも出来ます。その力はありますし、充分可能なのです。人のために尽くすことが出来るし、目の前にいる人の不幸を無くすることが出来ます。この世で王になるなら、それも可能なのです。
 これは一つの大きな誘惑でした。
 その可能性を選択することも出来ました。本日の聖書箇所四二節で「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」と祈っている姿があります。これはイエス様が神様に向かって、自分自身の心が引き裂かれそうだという思いを告白している場面でもあるのです。
 この世にとどまり、目の前にいる不幸な人々を救い、神の国のことを伝える方が良いのか、それともここで命を失うべきなのか。
 結果論で言うならば、正しい選択とは、十字架に付けられることです。イエス様がこの世にとどまる限り、そして目の前の不幸な人々を癒やす限り、そこで得られるのは、この世限定の救いですし、その恩恵にあずかれる人は限られます。一方イエス様が十字架に付くならば、この世界に生まれたあらゆる人が、審判の日に永遠の命を得られるようになるからです。
 言い方は変かもしれませんが、地域限定期間限定で選ばれた人だけが幸福になることか、永遠という時間の中であらゆる人の魂に幸福を与えるのかという選択肢だったと考えられます。
 ですから結果として考えるならば、決断は一つしかありませんが、そんな理屈は分かっていたとしても、やはり悩むのがイエス様のお姿だったと考える事が出来ます。
 改めて四二節のイエス様のお祈り「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」は、イエス様にも正しいことは分かっていますが、それでも目の前にいる不幸な人々を見過ごすことがとても悲しいと思ってのことなのでしょう。
 だからこそ祈りが必要だったのです。イエス様はここで祈ることで、心の整理を付け、本当に正しい選択をご自分で決断することが出来ました。自らの意思で決断して、十字架へと向かったという事が重要だったのです。
 これが神の子でありながら人の子として生まれたイエス様の決断です。この大きな決断が人間の歴史そのものを変えることになります。
 こんな大きな決断ではありませんが、ここにいる私たちにとっても、いくつもの決断を経てここにいます。人生の中でイエス様と出会い、イエス様について行こうという決断を経て私たちはここに集まることが出来ました。イエス様が自らの命を犠牲にしたことを私たちの魂の喜びとし、本当に正しい選択であることを確信して人生を歩んでいきたいものです。
 そしてそのイエス様の決断によって、私たちが個々に集うことが出来ましたことを感謝して歩みましょう。
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