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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

電話でのお問い合わせはTEL.03-3894-7565

〒116-0002 東京都荒川区荒川5-47-4

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キリスト教について
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イエス様の復活とは?

毎年教会では春にイースターのお祭りをお祝いします。これは「復活祭」とも呼ばれる、イエス様の復活をお祝いするお祭りです。
十字架に付けられ殺されたイエス様が三日後に復活されたと聖書には書かれており、それをお祝いします。
イエス様の復活が特別なのは、イエス様が「死」をも克服したという意味で捉えられています。克服した以上、もはや死ぬことはありません。イエス様が復活されたのは、永遠なる命を持つ肉体になったと言うことを示すのです。
人間にとって最大の恐怖である死を克服したことで、もはやイエス様に出来ないことは何一つ無いということを示すことになりました。言い換えるなら、神と等しくなったということです。



キリスト教について Christianity

キリスト教とはどのような教え?

キリスト教はこの世界に唯一の創造主である神様を信じる宗教です。キリスト教の場合、その神様の子であるイエス様がこの世界に平和をもたらして下さると信じ、イエス様を通して神様を信じるという特徴があります。
実はユダヤ教・イスラム教も同じ神様を信仰しているのですが、イエス様を神の子・救い主としているのはキリスト教だけです(イスラム教ではイエス様のことを預言者の一人として考えていますが、ユダヤ教ではイエス様が神様と関係あるとは公的には認めていません)。

教会になぜ十字架があるの?

十字架というのは当時のローマ帝国の処刑道具です。これはユダヤの人々にとっては、地面から引き離されて殺されるという意味で、最も残酷な処刑方法と考えられました。この処刑方法を用いてイエス様は殺されました。ですから、処刑道具である十字架はイエス様の死の記念となります。
処刑道具を大切にすると言うのは、日本人の感覚からすると異常かもしれませんが、イエス様の死こそがキリスト教の教義の中心となりますから、イエス様が命を捨てられた十字架はとても尊いものと考えています。
イエス様の死によって人の罪が洗い清められたならば、イエス様の死を象徴する十字架こそが私を清めてくれると考えています。

ユダヤ教とキリスト教の関係は?

旧約聖書はユダヤ教の正典そのものです。ですからキリスト教はユダヤ教を土台として成立した宗教です。
イエス様がこの世界に来られたことで契約が更新されたと考えているため、ユダヤ教の教えを「旧い契約」として考え、イエス様の「新しい契約」こそが重要と考えているため、ユダヤ教とは違った教えとなりました。
ただし、キリスト教では旧約聖書を否定せず、正典として大切にしています(ユダヤ教では新約聖書は認めていません)。

聖書について Bible

聖書ってなに?

聖書はキリスト教における「聖典」「正典」(ラテン語で「基準」を意味する「カノーン」と呼ばれます)とされる大切な書物です。特にプロテスタント教会では、聖書こそが信仰の中心と考えています。
聖書は複数の人々の手によって書かれた書物であり、直接神様がお書きになったものではありません。ただしここに書かれていることは、神様からの啓示によって書かれたものと考えられています。
書かれた内容が少々難解なこともあり、そこから神様のメッセージを読み解くために礼拝の中で説教があります。
一冊の聖書の中に旧約聖書と新約聖書という二つの書物が入っています。

旧約聖書と新約聖書の二つがあるのはなぜ?

聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」という二つの書物からなります。これは「古い契約」「新しい契約」二つの契約という意味です(「訳」ではなく「約」になっているのはそのためです)。
旧約聖書は今も用いられているユダヤ教の正典であり、イエス様がお生まれになる前のキリスト教の前史という位置づけになります。これは39巻あります。大きく分けて律法の書、歴史書、詩編、預言書の四つに分類されます。
一方新約聖書はイエス様のことを直接示された書で、教会の説教で用いられるのは圧倒的にこちらの方が多いです。こちらは27巻あります。生前のイエス様の言動が描かれた4つの福音書とイエス様の弟子たちが書いた書簡、そして終末の時に何が起こるのかを描いた黙示録と呼ばれる書からなります。
最初に神様と人間の間に約束されたことを描いたのが「旧約聖書」で、イエス様がこの世界に来られ、十字架につかれることで新たに契約が更新されたという意味で「新約聖書」と呼ばれます。

神様について Jesus

神様に名前はあるの?

キリスト教において神様はお一方しかおられないため、「神様」と言えば一人を指すために、名前というのは必要ないものかもしれません。
ただ聖書にはいくつか書かれています。「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 (出エジプト記3:14)。有名な十戒の中にも「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」(出エジプト記20:7)ともあります。
神様の名前は聖四文字(Wikipedia)と呼ばれており、ヘブライ語では「יהוה」と書きます(右から左に読みます)子音のみの言葉で、それぞれ「ヨド(Y)」「へー(H)」「ワウ(U・V・W)」「ヘー(H)」となります。ヘブライ語の旧約聖書を読むと、この文字が結構出てきますが、母音が書かれていません。畏れ多いために母音は伏せられていたようです。
十戒の「主の名をみだりに唱えてはならない」とは、「この正式な名前をみだりに口にしてはならない」と解釈も出来ます(いくつかの説があります)。
「父なる神」という言葉が聖書には出てくるため、神様は男性かと思われるかもしれませんが、これは「全てを作られた方」という意味合いですので、性別はないと考えた方が良いかもしれません。

人が神様を見ることは出来るの?

旧約聖書の時代の感覚では、神様と出会うと言う事は死を意味しました。預言者のように「神様の声を聞く」レベルだと肉体に激しい恐れが生じるくらいで済みますが、直接神様の姿を見たり近づいただけで、その圧倒的存在感によって人は命を失うほどの衝撃を受けるからと考えられます。イザヤ書6:5にも「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」と書かれていますから、あまりに偉大なものを見てしまうと、衝撃のあまりに命が消えてしまうという感覚なのでしょうね。
キリスト教会では、神様は大変親しい存在として描かれる事が多いですが、偉大さを損なっているわけではありません。又、旧約聖書の時代と同じく姿を見ることも出来ません。
それだけ偉大な存在が私たちに恵みを与えてくださるという感覚が重要です。
神様を直接見ることが出来る時。それが終末の時とされています。

神様が創造主というのはどういう意味?

旧約聖書の創世記には、神様は6日間でこの世界全てを作ったと書かれています。ですから世界の全ては神様によって作られたものと考えてます。ただし、大切なのは創造は今も続いていると言うことです。そこから生まれたものも又、神様から作られたものと考えています。ですから、今生きている人も一人一人が神様から作られた大切な命です。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ人への手紙12:1)という言葉があります。私の体は神様によって作られたもので、いわば、この世界の中で神様から「借りて」使用しているものという考え方です。
人文主義を通り過ぎた現在では「自分の体は自分のもの」という考え方が当然のものになっていますが、そうではなく、「私の体は私だけのものではない」「借りているものだからこそ大切に使おう」という思いをどこかに持つことで、自分自身を大切に、そして人に優しく出来る心を持つことが大切だと考えています。

イエス・キリストの名前は?

意外にイエス・キリストというのは、イエスが名前でキリストが姓であると思っている方が多いかもしれません。イエスは確かに名前ですが、キリストは「救い主」を意味するギリシア語。だからイエス・キリストとは「救い主なるイエス」という意味です。
ここに「私にとって」という言葉を付け加えると、もっと味わい深くなりますね。
尚、当時使われていたアラム語ではイエス様は「ヨシュア」(ヘブライ語でיְהוֹשֻׁעַ‎,。原語に近い発音では「イェホシュア」)と呼ばれており、それをギリシア語読みにしたものがイエスース(Ίησοῦς)。これを更に日本語で読みやすくしたものが「イエス」となりました。英語のJesusもこのギリシア語から来ています。

イエス様は特別な人?

キリスト教では、イエス様は神の子とされています。旧約聖書のイザヤ書では、「メシア」と呼ばれる救世主がユダヤの血統から現れるという預言がされており、その通り生まれたのがイエス様と言うことになります。ただし旧約聖書で言うところの「メシア」はあくまで人で、神の御子とはされていません。対して新約聖書のキリスト教理解によれば、イエス様は神の御子であり、人を遙かに超える存在として考えています。
新約聖書によれば、乙女マリアから生まれたと言うことになっています。ただし、どこで誰から生まれたことが重要ではなく、イエス様ご自身が神の子であると信じるということの方がもっと大切です。イエス様がどう生きて、人々に生きる意味を与えたかの方がはるかに重要で、それを伝えていくのが教会です。

イエス様がこの世界に来られた意味は?

イエス様がこの世界に来られた目的は二つあるとされます。
一つには神の国の到来を語るため。やがて世界は終わりを告げる。その時に天の国が地上に降りてきて、そこで神様の統治による新しい時代が始まる。その時に備え、神様を正しく信じていなさい。という教えを伝えるためです。
そしてもう一つは、自らの命をすべての人々に分け与えるためです。イエス様の犠牲によって人は神の国に入る資格を得ることになります。全ての人を救うために、自ら犠牲になるためにこの世界に来られたと言うことになります。

クリスマスはイエス様の誕生日? 

毎年行われるクリスマスはイエス様の誕生日と思われていますが、正確には「イエス様のお誕生をお祝いする日」です。
聖書にはイエス様の誕生の日時が書いてありませんが、誕生をお祝いする日が欲しいと言うことで、冬至の後にお祝いすることとなり、12月25日とされました。これはそれまで短くなる一方だった日照時間が長くなっていくことから、光の誕生という意味合いがあり、この世界に光をもたらすお方イエス様のお誕生をこの日にお祝いすることからです。
ちなみにクリスマスは12月25日なのに24日にイブをお祝いする理由は、ユダヤでは日の入りが一日の始まりとなるため、24日の日没から25日になるからです。だから正確には「クリスマスイブニング」と言います。

イエス様はなぜ殺されたの?

確かにイエス様は犯罪者として十字架に付けられて殺されました。それではイエス様はどんな犯罪を犯したのでしょうか?
その罪状は、ローマに対して反逆を計画してるというものでした。ですから、犯罪を犯したのではなく、犯す可能性で殺されたというのが真相になります。
その背後には、当時のユダヤ教の考えがありました。イエス様が伝えた神様の姿は、彼らにとってはあり得ない許されないものだったのです。彼らの本音を言えば、「神様を馬鹿にされたから殺してしまえ」というところからです。
ただそれでは死刑にする根拠として弱すぎるため、ローマに反乱を起こそうとしているという言い訳、はっきり言えば、でっち上げが必要になったのです。

前述の通りこれは神様のご計画の一部でした。イエス様はわざと自分が十字架にかかるよう、敢えて挑発のような言い方をして恨みを買うようにしていきました。
そして出エジプトをお祝いする過越の祭りの時に合わせて処刑されました。
実はこの過越祭はユダヤ教では特別なお祭りです。この日、一年間の罪を許していただくため、神様に生け贄を献げる儀式が執り行われます。おおむね小羊一匹で一家族の罪を消してくれるものとなります。
この日に神の子であるイエス様が羊の代わりに生け贄にされたことで、過去から現在未来に渡る世界中全ての人の罪は許されました。
これこそがキリスト教の教義の中心です。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12:24)

イエス様が教会を作ったの?

前述の通りイエス様ご自身は神の国を宣べ伝えることと、自ら十字架に付けられるためにこの世界に来られました。そのため自ら教団を作りませんでした。イエス様の十字架の出来事を見、その意味を知った弟子たちによって、イエス様を伝えるために教会ができあがりました。キリスト教三大祭の一つペンテコステは教会の誕生日として考えられています。

キリスト教とは愛の教えと聞いたけど?

キリスト教の中心となる教えは二つあります。これは福音書に書かれているイエス様がおっしゃった言葉から分かります。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章37-40節)
どちらも旧約聖書の律法に書かれていることです(申命記6章5節とレビ記19章18節)。そのどちらにも「愛」という言葉が使われています。
キリスト教において愛が最も重要というのは、イエス様が「最も重要な掟」としているからとなります。

教会・礼拝について Church

教会って何?

教会はキリスト教の礼拝を行う場所です。特別に礼拝堂を持つ教会がほとんどですが、牧師先生のご自宅を教会にしているところもありますし、会堂を持たずに一般の集会所をお借りして礼拝を行っているところもあります。
東京カルバリ教会では今では荒川区に会堂を持っていますが、ここに至るまでには長く会堂を持たず、日本各地様々な場所で礼拝を行っていたという時代がありました。経緯については教会案内もご覧ください。

日曜日に礼拝が行われる理由は?

ほとんどの教会では日曜日に礼拝を行っています(いくつかの例外あり)。
その理由は主に二つあります。
一つには、旧約聖書のイスラエルが守っていた安息日に代わるものとしてです。創世記2:2には「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった」と書かれており、これが安息日の元になりました。十戒にも「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあって、これがイスラエルの守らねばならない律法の一つでした。出エジプト記31:14には「安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる」とかなり厳しい語調で語られています。
この日は全ての仕事をお休みする日ですが、休んで何をするかというと、神様に対する奉仕です。ユダヤ教では、六日間は自分のために働き、週に一度は神様のために働く日を作りなさい。という意味で安息日が設けられています。ですから安息日とは、「神様が安息する日」休むのは人間ではなく神様の方です。だからこの日は人間が神様に奉仕をする日となります。
キリスト教でも、神様に奉仕する日を作りました。ユダヤ教の場合、これは「週の終わり」ですから安息日は土曜日となります。それとかぶらないように、週の初めを礼拝の日とすることとしました。
もう一つは、イエス様の復活が日曜日に行われたからです。キリスト教最大のお祭りは復活祭(イースター)ですが、毎週復活をお祝いしているのが礼拝です。日曜日ごとにイエス様の死と復活を思い、イエス様に奉仕する心をもって礼拝を行います。

礼拝はどんなことをするの?

礼拝は神様を賛美する場で毎週日曜日に行われます。内容は、礼拝の中で聖書を読み、賛美歌を歌い、祈りを献げます。また牧師先生による聖書の解き証しがあります(礼拝では「説教」といいます)。東京カルバリ教会では10時半から礼拝が始まり、大体11時半くらいに終了します。その内の説教時間は20分ほどです。
また月の初めには礼拝内で聖餐式が行われます。これは洗礼を受けた方のみがあずかれるパンと杯です。クリスチャンではない人は出席は出来ませんが、パンと杯を取ることが出来ません。初めてこられる方は、クリスチャンかそうでないかをあらかじめおっしゃってくださると助かります。どうぞご了承ください。
初めて来られる方はこちらをお読み下さると
当教会での礼拝出席人数は20人前後です。

初めて礼拝に来た人がすることは?

基本的に礼拝を受ける人は、讃美歌を一緒に歌うことと、説教を聞くこと、又お祈りの際には目をつむって、心の中で一緒にお祈りすること、そして献金を献げることです。
まずは雰囲気を味わうことが大切だと思い、軽い気持ちでおいでください。

お祈りの姿勢で手を組んでうつむくのは?

キリスト教のお祈りは主に両手を組んで顔をうつむき加減にするのが大半です。これが祈りの正式な格好だと思われる人も多いと思いますが、実は祈りに決まった形というのはありません。両手を広げる人もいますし、うつむかずに顔を空に向けてお祈りする人もいます。
実は最初の頃の祈りは両手を大きく空に伸ばし、可能な限り上を向いて、大声でお祈りをするというものだったそうです。何故今のポーズになったのかは諸説ありますが、前に私が聞いて納得したのは、「祈りは神様に向かってするものだから」と言うものです。
神様が遠く空の彼方にいると考えるならば、空を見上げてお祈りすればいいし、もし神様が心の中におられると思うならば、自分自身の心を覗くように祈るべきだというのです。いつも神様は共におられるという思いをもって祈るならば、やはり祈りの姿勢は自然とあのような形になるのかも知れませんね。

聖餐式って何?

東京カルバリ教会では月初の礼拝で聖餐式を行います。
これは儀式に則りパンとワイン(ブドウジュース)をいただく式です。これはイエス様が十字架に付けられる前の最後の晩餐で弟子たちにパンとワインをお配りになったことを記念して行っています。
パンはイエス様の肉体、ワインはイエス様の血を象徴するもので、これをいただくことで、イエス様を受け入れ、救いに入るという意味合いを持ちます。
当教会では聖餐式は全員出席は出来ますが、パンとワインは洗礼を受けた人のみ受けることが出来ます。未受洗者の方には大変申し訳ありませんが受けることが出来ませんのでご了承下さい。他のどの教派でもキリスト教の洗礼を受けている方は受けることが出来ます。
未受洗者も聖餐を受けることが出来る教会もいくつかありますので、そちらをご希望の方は探してみるのも良いでしょう。

何故献金が必要なの?

献金は神様に献げるものと言いますが、実際には教会における献金は、礼拝の中で献げられる礼拝献金と、月毎に金額を決めて献げる月定(月約)献金、嬉しいことがあった時や記念日などに献げる感謝献金があります。
礼拝の中で献げられる礼拝献金は出席者全員によって献げられるもので献金額は自由です。
それに対して月定献金は教会を支えるという意志を持つ方が行うもので、主にここで献げられたものが教会の維持管理に用いられます。教会員一人一人が教会のオーナーとして、教会の維持管理に参加する意味があります。
感謝献金は主に嬉しいことがあって、神様に感謝を献げたい時などにお献げします。他にも受洗日や誕生日、節目の時などにお献げする人もいます。献金を封筒に入れ「○○(感謝する具体的な名称)感謝」と書いてお献げ下さい。
献げられたお金は基本的には教会の維持管理にあてられます。具体的には牧師の謝儀や、礼拝を快適に行うための会堂内の整備、事務管理、研修、集会準備のためなど多岐にわたります。
献げられた献金の金額総額と、その使用先は週報に記載されていますのでご覧下さい。年に一度会計監査も行われています。

教会へ行くときは予約や入場料は必要ですか?

礼拝参加は誰でも出来ます。クリスチャンでなくても、初めてでもおいでください。事前予約も必要はありませんが、電話(03-3894-7565)かメール(info17@karubari-church.org)などであらかじめご連絡いただければ、事前に礼拝について説明いたしますので、礼拝を快適に過ごすことが出来るかと思います。
できれば礼拝が始まる時間(10時30分)までにご自由にいらしてください。礼拝堂は一階にあります。呼び鈴などはないのでそのままドアを開けて入ってくださって結構です。10時15分くらいまではドアも開いています。
10時30分以降に到着した場合でも出席できます。ただし礼拝は始まっていますので、静かにお入りください。
入場料はありませんが、礼拝の中で神への感謝をあらわす献金の時があります。

献金はどれくらいの金額? 

献金は神様と出会える時を感謝して献げるものです。ですから「出す」のでも「払う」のでもなく、神様に「献げる」ものです。
神様に対する感謝の気持ちがこもっていればその金額は一切問いませんし、誰も何も言いません。金額はご自身の感謝の気持ちに合わせて、ご自由にお献げください。
献金袋が回ってきましたら、0円からでもどうぞお入れください(献金袋に手を入れるポーズだけで大丈夫です)。

礼拝の服装は?

服装に決まりはありません。ラフな格好で来られる方も、正装で来られる方もおられます。それぞれ自由な格好です。特に初めての方は気張らず、いつもの格好で気軽においでください

聖書、賛美歌は何を使っていますか?

讃美歌は1954年編纂の「讃美歌一編」を主に使用しています。聖書は「新共同訳」のものを使用しています。
聖書・讃美歌は教会に備え付けがあり礼拝時には貸し出されます。初めての方はそちらをご利用ください。

教会員になるためには

それぞれの教会には「教会員」と呼ばれる人がいます。教会員の支えによって教会は成り立ちます。
洗礼を受けた人は基本的に洗礼を受けた教会の教会員となります。
教会員は教会総会での選挙権と決議権を持つことになり、教会の維持管理に参加することとなります。意見や要望を役員会に提出できるのも教会員ならではです。
教会員は教会を支える役割を持つため、月定献金などもお願いされます。金額はご自由ですが、月毎に出来れば同じ額を献げることをお願いします。
引っ越しなどで他の教会に出席する場合、籍は元の教会に残したままとなりますが、ご希望によって新しい教会で教会員になることも出来ます。
その際、教会籍を移すことになりますので、今の教会と前の教会の双方に了解を取り、手続きをする必要があります。
当教会に転会を希望される場合は牧師まで一言お声をかけて下さい。手続きについて細かくお伝えします。

その他 etc

神様を信じないと罰がくだされる?

人間が何かをしたから神様はそれを評価すると思ってる人が多いのではないかと思います。
ただしキリスト教の教えというのは、イエス様が全ての人間の罪を負って死んでくださり、それによって全ての罪を赦してくださったと考えるため、すでに恵みは与えられていると考えます。それに気づくことが信仰です。「本当の救いは神様を信じることから始まる」とは言います。
人の行いによって救いが左右されるわけではないというのは大切な部分です。ですから、教会では「○○をしないと罰がくだる」と教えることはありません。神様はそのままの私を愛してくださる方です。

食べたり飲んだりしてはいけないものはある?

キリスト教には食物規定はありませんから、基本的に何でも飲み食いして大丈夫です。
神様に誓いを立て、自主的に食物断ちする方もおられます(例:アルコール被害者に寄り添うため自らもアルコール断ちをするなど)が、それを他者に強要することはありません。

プロテスタントとカトリックの違いは?

イエス様の昇天後に作られたのが教会でしたが、そこからいくつかの枝分かれをしてきました。
大きくは、東方正教会とカトリックとプロテスタントです。
東方正教会は主にヨーロッパの東側とロシアを包括し、カトリックとプロテスタントは世界各地にあります。
カトリック(CATHOLIC)は「正統な」という意味で、最初の教会の伝統を今も受け継いでいる会派です。ローマ教皇(法王)を頂点とした一枚板の組織です。
一方プロテスタント(PROTESTANT)は「抵抗する」という意味で、カトリックから分離された際に用いられた言葉をそのまま受け継いでいます。プロテスタントの考えでは、人に優劣はないため、神様の前に全ての人は平等と考えています。そのため一枚板の組織が作られておらず、組織はかなりばらつきがあります。
日本においてはほとんどの教会がカトリック教会とプロテスタント教会です。お茶の水にあるニコライ堂など正教会も活動しています。

カトリック教会とプロテスタント教会の外見上の見分け方は、教会の前に聖人像(マリア像が多いです)が置かれているのがカトリック教会。それに対して十字架以外の装飾を用いず、像などを一切置かないところはプロテスタント教会である可能性は高いです。ほとんどの教会には案内板が置かれていますので、それをを探してみてください。
カトリックは修道会ごとに個性があり、又プロテスタントも会派ごとに様々な違いがあります。その教会がどこの会派に属しているのかは教会前の看板などに書かれています。ネットの検索で調べてみても良いでしょう。

牧師と神父の違いは?

「牧師」はプロテスタント、「神父」はカトリックでの聖職者の呼び方になります。
聖職者として人生全てを神様に献げた人で、妻帯や自分の家を持つなど個人所有は制限されます。対して牧師は在野にあって教会を中心とする共同体を形成する役割を持ち、基本的に全て信徒と同じ立場となりますので、妻帯も出来ます。
どちらも日本では「牧会者」と呼ばれますが、役割が異なるために混同はしない方が良いでしょう。ちなみにカトリックでは正式には「司祭」で、「神父」は通称です。

他にもキリスト教会はありますか?

外見上は教会ですが、いくつかキリスト教と認められていないものもあります(いくつかの代表を挙げますと、統一教会、エホバの証人、モルモン教などがあります。他にも多数のキリスト教を称する団体があります)。それらは私どもの教会とは全く異なる組織です。
キリスト教を詐称するカルトもあるため、その教会が属する会派を調べてみることをお勧めします。家族が被害に遭われた方などのために、しかるべき手続きをしてくださる方をご紹介しますので、その際はご相談ください。

讃美歌とはなんでしょうか? 

礼拝で用いられる歌集として讃美歌または聖歌が置いてありますが、これは文字通り「神様を賛美(褒め称えること)」するための歌です。内容はとして、神様を褒める歌、感謝を込める歌、苦しみの中から神様を求める歌など様々です。礼拝の中では歌詞を負うので手一杯かもしれませんが、礼拝の始まる前などに一度目を通して歌詞を読んでみることをお勧めします。詩の中に信仰を言い表していますので、とても深い意味を持っています。詩人がどのような思いを持ってこの詩を書いたのかを考えてみるだけでも礼拝に来た意味があります。また、牧師がどんな意図を持ってこの讃美歌を選んだのかを考えてみるのも一興です。
昔からの讃美歌も良いものですが、讃美歌は常に作られ続け、今も世界中に増え続けています。

教会ごとに讃美歌が違うのですが 

一般的に教会で用いられる讃美歌または聖歌は、現在日本で手に入るものだけで10種類以上あり、それぞれに個性があります。中には同じ讃美歌でもコードや歌詞が微妙に違うものもあります。これは翻訳者の個性などによりますが、いかにして元の意味を伝えるかという、翻訳者の苦心が見えたりもします。最近では本としての歌集を持たず、歌詞をプロジェクターなどで投影する教会も増えてきています。


まだ洗礼を受けていません。ほかの教会、教団教派の教会に所属しているのですが......

洗礼を受けなくても、礼拝や教会行事・イベントにはどなたでも参加できます。大歓迎します。
洗礼は年に数回、イースター、ペンテコステ、クリスマスといった教会の祝日に予定しています。
もし礼拝に出られて、洗礼をとお考えの方は遠慮なく牧師にご相談ください。準備のときを持ちます。
申し訳ありませんが、礼拝の中で行われる聖餐に関してのみ、洗礼を受けられてない方はあずかることはできません。ただし他宗派の方で洗礼を受けられている方は聖餐におあずかりください。

進学、就職、単身赴任などの方々、牧師と一緒に東京一年生を楽しみましょう。
また自分の教会を探している方も大歓迎です。ここがその旅の終点になるとうれしいです。
同じプロテスタントの他教団教派の教会の方はもちろん、カトリックの方も歓迎します。
是非牧師にひと声かけてくださいね

しつこい勧誘は迷惑なのですが.....

しつこい勧誘はいたしません。教会からの連絡が不要の場合は何もお送りしません。
初めてこられた方に礼拝時に住所を書いていただきますが、連絡以外に用いることはありません。教会で厳重に管理いたします。
教会の案内や説教の送付も行っております(切手代の実費必要)。希望の方は遠慮なくお申し出ください。

子どもがキリスト教主義の学校に入学したのですが、家族、親がクリスチャンですが、私は.....

まずキリスト教主義学校のご入学おめでとうございます。
学校ではキリスト教信仰に基づいた教育が行われるのですから、せっかくの機会ですので、
この際、家族の皆さんも是非教会の礼拝にもお出でになってみてはいかがでしょうか。
また家や塾では教えられない聖書科の課題についてもお手伝いできます。

家族にクリスチャンがいらっしゃるのでしたら(もしお嫌でないのでしたら)おいでください。
イースターやクリスマスは必ず特別な礼拝をどこの教会でも行っています。
そのときはまた初めて教会に来る人もたくさんいますので、出席しやすいと思います。
礼拝の雰囲気を味わうことは決して無駄になりません、
心に響く聖書の言葉や讃美歌に出会えるかも知れません。

親はクリスチャンだが、自分はそうでない。しかし、もしもの時は親の信仰を出来る限り尊重してあげたい。
しかし、自分はキリスト教のこと、教会のことはよくわからないから困っているという方の相談は結構あります。
何でもお気軽にご相談ください。出来ることはお手伝いします。

牧師と話をしてみたい方は、事前にお問い合わせください。時間をとってゆっくり話をしましょう。まずはご連絡ください。

平日に行っても大丈夫?

日曜日以外基本的に教会は閉めさせていただいておりますが、事前に連絡いただければ礼拝堂の見学はいつでも受け付けています。お気軽にお問い合わせください。
金曜日15:00~「聖書を学ぶ会」を2階の集会室で行っていますので(出席は3~5人くらいです)、初心者向けのお話となりますので、最初にこちらでお話をしてみても良いかと思います。

その他のこと

教会について不明なことや疑問点はそのままにして、重荷にならないように、何でもお尋ねください。