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礼拝Worship






礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇一九年 三月一七日
 「イエス様の行くべき道」 ヨハネによる福音書 一二章一二節〜一九節

 毎朝朝ドラの「まんぷく」を楽しく観させていただいています。主演の安藤サクラは結構前から注目していた女優でしたので、良い役やってることがなんか嬉しいのですが、この番組にはなかなか個性的な人たちがたくさん出てきます。中でも最初の頃、主人公のお姉さんに求婚していた歯医者さんがおりましたね。彼はいつも馬に乗って登場してきました。お金持ちのお坊ちゃんと強く印象づけるためでしょうが、何故馬に乗らねばならないのかというのは心理的に考えてみるととても面白いものです。
 馬というのは最高時速は時速六〇キロに達するそうで、車並みのスピードを誇りますが、それ以上に人懐っこく、性格も温和なため、人のパートナーとなりやすい動物の一つです。何より体が大きく、人がその背に乗ると、誰よりも高くなります。
 馬が古来より権力の象徴として用いられてきた理由はそこにあります。誰よりも大きな肉体で高い位置から人を見下ろすことが出来ますから。ですから馬に乗るのが権力の証でもあるのです。ナポレオンなんかは背も低く少々太り気味だったそうですが、馬に乗ることで自らを大きく見せたと言われているくらいです。
 本日の聖書箇所はイエス様のエルサレム入城について描かれた箇所ですが、ここでイエス様はエルサレムに入るためにわざわざ動物の背に乗って入ってきています。なんの動物かというと、一四節に「イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった」と描かれています。イエス様が乗ったのは馬ではなくロバで、しかも子供のロバです。
 イエス様がわざわざロバに乗った理由は、一つにはそれが預言に描かれていたからです。一五節に「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」と描かれていますが、これは旧約聖書のゼカリヤ書の九章九節にこう描かれています。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。」エルサレムに王様がやってくる時、ろばに乗ってくると描かれているからですね。
 これまでエルサレムの外で活動しておられたイエス様はここでいよいよユダヤ教の最も重要な場所であるエルサレムへと入ってきました。イエス様の言葉によれば、それは「栄光を受けるため」でした。
 その「栄光」というのが一体何かと考えるのですが、まずその前にこのエルサレムの熱狂ぶりがありました。一二節と一三節には「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」 」と描かれています。イエス様を熱狂的に受け入れたことがここから分かります。
 エルサレムの王様が来られた、救世主が来て下さったという事で彼らは熱狂したのです。まさに彼らの叫びは王様が来られた時のようです。
 熱狂を持って受け入れられるという事自体を「栄光」と考える事も出来ます。みんなから喜ばれて迎え入れられることなんて、人生においてもそんなに多い訳ではなく、相当特別な時ですから。人生において、最も気分が良い時となるかもしれません。
 彼らの熱狂はかなり度が過ぎる感じもあります。これは実は彼らはある人物を待ち焦がれていたからです。
 それは、自分たちのリーダーになって、ローマと戦ってくれる人です。エルサレムの人々にとって、ローマの支配というのは窮屈なもので、不満が溜まりに溜まってしまっています。この窮屈な生活から抜け出すためには戦いを求めていたのです。そのリーダーとなる人が来てくれるなら、大歓迎だったのです。ましてやイエス様は人を生き返らせるほどの力を持った人で、神様の力を用いることが出来ます。彼らにとって、イエス様の存在こそが待ち望まれた救世主と映ったのです。
 さてここで問題が一つあります。
 エルサレムに住むユダヤ人達にとって、救世主というのは自分たちを解放してくれ、神の民として相応しい扱いをしてくれる人物を指しています。彼らが思い描いていたイエス様の姿は、立派で大きな人だったことでしょう。
 それこそ最初に言ったように、馬に乗り、堂々たる姿で現れるならば、イメージにぴったりです。これから始まる戦いのリーダーとしてエルサレムに来たのならば、馬に乗っていることがイメージ通りの姿となったはずです。
 ところがイエス様がやってきたのはろばに乗ってでした。
 ロバというのは大きさは一メートル足らず。自転車のサドルよりちょっと高いくらいの高さです。しかも基本的にロバは顔を下に向け、ゆっくりと歩きます。おおよそ立派な人物が乗る動物とは言えないような姿です。言ってしまえば、情けない姿と言えるでしょうか。確かにゼカリヤ書の預言に描かれていたとおりではありますが、立派な姿とは到底言えない姿ですね。どっちかというと罪人のような姿です。
 イエス様はそんな姿を敢えて選びました。民衆の持っている、救世主のイメージとは全く異なるみすぼらしい姿です。
 これはイエス様が語る「栄光」というのが民衆の求めるものとは大きく異なることからです。民衆の求める救世主の姿は、ユダヤ人のリーダーとして、猛々しくローマと戦う姿でした。
 しかしイエス様が語るご自身の栄光とは、自らの命を用いて全ての人を救う、いわば生け贄の小羊となるために来られました。それ故にイエス様は敢えてそのような姿を選んだのでしょう。このロバのように、むしろエルサレムにうなだれて入城するような姿です。
 実はこの姿はもう一カ所旧約聖書に描かれる救世主の姿に重なります。イザヤ書五三章七節です。「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。」とあります。人の罪を負い、その罪を神様に許していただくためにかがみ込み、苦しそうに歩いている姿。そんな姿の救世主が描かれています。
 さて、私たちがイメージするイエス様の姿とはどんな方でしょうか?立派で道徳を説くような方なのか、両手を広げて私を待っていてくれる方なのか、それともうなだれ、処刑場に引かれるかのようなみすぼらしい姿をしたものなのか。それぞれのイメージ波があるでしょう。でも私たちの痛みを共に担って下さるというイエス様の姿もちゃんと知っておくことも大切です。

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