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礼拝Worship






礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇一九年 一〇月 一三日
 「永遠の命とは」 ヨハネによる福音書 一七章 一節〜五節

 これまでヨハネによる福音書を順番にゆっくりと学んで参りました。全部で二一章ある福音書も本日から一七章に入ります。残り五章となり、四分の三がようやく終わるところに来ました。福音書もいよいよ十字架に向かって走り出しています。
 先週の一六章最後でイエス様はこれから裏切るであろう弟子達に対して慰めの言葉を語っていました。自分を裏切る人に対して慰めるというのも変な感じですが、これを聞いた弟子達が、やがてイエス様のことを告げる使徒になっていくのですから、それが分かっていて、そういう声かけをしたのでしょう。
 そしてそれを語った後、一七章の一節で「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。」とあります。お話しになっている内にイエス様の心が高揚していたように見えます。
 そこからが長い独り言になります。正確に言えば独り言ではなく神様に向かってお話をしていますから、これは祈りと言っても良いですね。私たちにとってお祈りというのは手を組んで目をつむって行うものですが、この当時はむしろ祈りは天に向かって手を広げて行っていたそうですので、ここでのイエス様の行いは本当に祈りとなります。
 それでは何故イエス様は祈り始めたのか、その事を少々考えてみましょう。
 祈りにも色々あります。最も多いのは日々の祈りでしょう。朝起きて、あるいは食事の時に、就寝前に、別段声に出さなくても心の中で神様に頭を下げることと、今日一日元気に過ごせますように、日々の糧をありがとうございます。今日も一日元気に過ごせました。ありがとうございました。というお祈りになります。他には礼拝を行うとき、前奏で静香に頭を下げるとき、司式者のお祈りを聞いて「アーメン」と言う時などもあります。
 それ以外はどんなときに祈るでしょうか。
 一つには危機的状況に陥ったときなどがあるかと思われます。本当に自分ではどうしようもなく、あとは祈る以外の手がないという状況。自分だけでなく、家族が事故に遭ってしまったりとか、病気で死に面しているときとか、そんな時は本当に祈るしかありません。そんな状況に陥ることも確かに一生のうち何度か遭遇するかもしれません。
 そしてもう一つ。心から感謝の気持ちがあふれ出して、どうして良いのか分からない時というのがあります。とても素晴らしいことが起こって、誰にかは分からないけど、とにかく感謝せずにはいられないとき。そんな時に神様に向かって「ありがとう」と言いたくなります。様々な苦しさに耐えた後で得られる最高の喜びと言っても良いでしょう。
 イエス様がここで神様に向かって話をされたのは、まさしくその最後の本当の感謝の心から出ているのだと分かります。
 この瞬間、イエス様は感謝の心が押し寄せて幸せに包まれ、その思いを祈りの形で神様にお話しされています。
 それは素晴らしい一瞬なのですが、ここでイエス様が話している言葉を観てみましょう。一節で「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」と言っています。この言葉自体は感謝の心を表す言葉に違いありませんが、ここでイエス様が言っている「栄光」とは何を意味するのかが重要です。
 これは二節で語られます。「あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。 」つまりイエス様にとって「栄光」とは、人々に永遠なる命を与えることだと分かります。
 それでイエス様が人々に永遠の命を与えるとは、何を意味するのかと言いますと、それはご自分の命を投げ出すことに他なりません。
 ここでイエス様が本当に心から喜んでいたのは、ご自分が死ななければならないという運命を受け入れることでした。
 まともな精神ではこの言葉は出てきません。死を前にして喜ばしいなどと、ある意味では正気の沙汰ではありません。
 でもこれは、イエス様がこの世界に来られた理由であり、目的なのです。ご自分の死を通して、人々の罪を許し、神の国に入れるようにしてあげること。人が神の国に入るには無料ではないのです。イエス様の死というものを超えなければならないのです。それをようやく行う事が出来るのだということを感謝をもって受け入れているのです。
 ここからイエス様はご自分の死よりも人の命を救うことの方が重要であると考えていることが分かります。
 私たちがイエス様を好きになる理由とは、死をも恐れずに私たちに恵みを与えようとしているイエス様の姿を知っているからなのです。イエス様が命を捨てられたのは、私のためであるということを知るからこそ、私たちはイエス様に感謝します。
 イエス様がここでお喜びになったというのは、実はもう一つ理由があります。
 先週お話ししましたが、一六章の最後でイエス様は弟子達に赦しをお与えになりました。これは大変重要な意味を持ちます。
 イエス様が十字架で死を迎えたとき、弟子達は逃げ帰ります。しかし、イエス様が人々を救ったという事実を伝える人がいなければ、イエス様の死は誰にも意味が分からなくなるからです。
 先に赦しを与えたことによって、弟子達がご自分のことを世界の人々に伝えてくれるのだという確信を持てたからこそ、イエス様は本当に目的が果たされたことを知って、喜びに溢れたと考えられます。
 イエス様に喜んでもらうために、何が必要か。それはイエス様を伝える事であるという事をここで示されているところでもあります。
 私たちがなすべき事は、イエス様を伝えることです。
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