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礼拝Worship


礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二二年五月二二日 第二二四五号
「イエスの昇天」 使徒言行録一章六節~一一節

 今年のペンテコステ礼拝は六月五日です。再来週となりますが、この日はイースターから数えて丁度五〇日目に当たります。ところで、今週の五月二六日の木曜日にも節目があります。それはイースターから数えて四〇日目に当たるのです。単なる数の節目ではなく、この日は「昇天日」と呼ばれる記念日なのです。本日聖書を読んでいただきましたが、イエス様が天に昇られた日。この日が昇天日となります。
 イエス様の復活が行われたイースターから四十日目。この日にイエス様は弟子達を招かれました。六節に「さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。」と書かれています。ここにはどこでとは書かれていません。家の中ではないはずですが、まちなかにある空き地なのか、それとも屋根の上なのかもしれません。でもイメージとしては開けた郊外の場所若しくは山の上というのがしっくりきますね。おそらくはこの日、特別にイエス様は弟子達を集めたのでしょう。弟子達もイエス様の態度から、これは何かあるなと悟ったのでしょう。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と言っていることからも分かります。弟子達が言っているのは、神の国が到来するまさにその日のことです。かねてからイエス様がおっしゃっていた神の国の到来が今やってくるのかという覚悟のようなものが伝わってきます。
 イエス様はまずは弟子達の質問に答えて、「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」と釘を刺し、まだその時には至っていないことを告げます。
 その上で「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言った後、すぐに天に昇っていかれ、弟子達の目には見えなくなったと書かれています。九節に描かれるのは「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」だけで、あっけない描写となっています。これがイエス様の昇天の出来事となります。ここでイエス様が約束されたのは、世界の終わりでは無く、今はまず聖霊を待ちなさいという一言でした。イエス様が最後に弟子達に託したのは、待てという命令です。その時に全てが分かるときが来ます。それはほどなく。一〇日後にやってきます。
 さて、この昇天日ですが、キリスト教では「しょうてん」という日本語は二つの言葉が当てられます。一つは「天に召される」と書いた「召天」と書く場合。もう一つは昇天日で使われるように、「天に昇る」と書く場合です。どちらも天に昇ることを意味しますが、意味はだいぶ違います。天に召される方は、葬儀の時に使われる言葉です。この地上での生涯を全うした人が神様から召されて天に迎え入れられるという意味になります。一方天に昇るというのは、自分の力で天に昇るという意味です。神様に召されて昇るか、自分で昇るかの違いですが、召される方は上から神様が手を上してくださって、その人を引き上げてくださることから、神様から呼び出しを受けて参上する、若しくは神様が招いてくださって、そこに出席するというイメージとなります(1)。一方、天に昇る方は、自分の力で天に昇るということです。ただし、自分の力で天に昇ることが出来るのは、たった一人イエス様しかいません。ですからキリスト教用語では、「天に昇る」と書く「昇天」はイエス様だけの特別な言葉です。私達にとって天に昇るというのは、神様から召されて昇ると言う事になります。
 実は天から招かれるという考え方はこの部分はキリスト教特有の考え方です。
 多くの宗教、特に死の後の平穏を教える宗教において、目指すべきものは自分で天に昇ることです。自ら天に昇る方です。それらの宗教の教えは人が天に昇るためにどうすれば良いのかを解説しています。それに従って、天に昇ることを目指すために修行をしたり、あるいはお布施をしたり、特別な資格を得たりします。これによって神様に認められるようになったら、天に入る資格を得ることになります。典型例はユダヤ教で、彼らが厳しい律法を守るのも神様に認められるためです。神様に認められ、特別に神の国に入ることが認められることを最大の目的としています(2)
 それに対してイエス様は、そのような努力を必要としなくても天の国には入れると語ります。それが「天に昇る」ことと「天に召される」ことの違いです。キリスト教の場合、自ら努力して天に入るのではなく、イエス様が天に引き上げてくださるのですから。イエス様の十字架と復活はそのためにありました。イエス様がこの世界に来られた理由は、人を神の国に迎え入れるためだったのですから。
 そのために必要なのは努力ではありません。イエス様を信じ、心に聖霊を受け入れるだけです。それで人は誰しも神様から召される存在となります。
 言ってしまえば、自分で天に昇ろうとすることはキリスト教の考え方ではたった一人イエス様を除いて不可能なのです。誰も努力によって天の国に入ることは出来ない。キリスト教の信仰とは、その前提から始まり、そしてそんな人間を天の国に入れてくださるのがイエス様だと知ることから信仰が作られていきます(3)
 私達が天に昇るために必要なのは、イエス様の十字架によるものです。その事を信じること。基本的にはそれだけで、私達は救われます。神様が私達をすくい上げてくださり、天に召してくださるのです。
 イエス様は天に帰られてしまいましたが、それは私達の目に見えなくなっただけで、その代わりとなるものが与えられる事になります。弟子達が世界に伝えるべきは、まさにその事です。そしてそれを知るために一〇日後に与えられるのが聖霊でした。この聖霊を受け入れることこそ、イエス様を救い主とすることです。聖霊を受け入れ、聖霊を与える場所。それが教会です。
 私達はイエス様によって天の国に引き上げられる。そのことを確信してお仕えしていきましょう。そしてそのお思いを伝えていけますように。
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