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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

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礼拝Worship






礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二〇年 八月九日
 「主の晩餐の制定」 コリントの信徒への手紙一 一一章 二三節~二九節

 日本キリスト教団から与えられました聖書日課によりますと、本日の礼拝の聖書箇所はコリントの信徒への手紙一の一一章二三節以下となります。この箇所は主の祈りの元となったマタイによる福音書六章九節以下(1)を除けば、恐らく最もたくさん読まれている聖書箇所でしょう。この教会では月一回私がこの箇所を読んでいます。
 この箇所は聖餐式の制定の言葉で、聖餐式を執り行う際、必ず聖餐執行者が読む箇所となります。先ほど言った主の祈りとは違い、完全に聖書そのものを読みますので、この箇所が最も読まれている聖書となるでしょう。
 聖餐と言えば、今年の新型コロナウイルスの蔓延に伴い、接触を抑えるために四月から聖餐を停止しています。月一回は行うべきものですが、それが出来ないのは心苦しいものですが、皆様の健康を第一に考えてのことです。どうぞもう少しお待ちください。
 聖餐式は大切で礼拝には必要なものです。では他にも礼拝に必要なものはいくつもありますが、これだけは絶対に欠かすことができないものとは何かおわかりでしょうか?
 この答えはカトリックとプロテスタントでは異なります。まず私達プロテスタントの方から考えてみましょう。
 私たちにとって礼拝というものは、神様と私達の応答の場所です。ですから神の声を聞くことと、私達の信仰を表明すること。この二つがしっかり出来ていれば礼拝は成り立ちます。具体的に言えば、聖書を読むことと信仰告白を行えば礼拝は成立するのです。週報を見ますと、「聖書」と「使徒信条」という項目があります。この二つが礼拝の中心です。最低限だと一〇分もかからずに礼拝を終えることも出来ます。
 では聖餐式はどうなのかと言いますと、聖餐式というのは定期的に行いますが、多くの教会では月に一度、それ以下になっても一応礼拝としては問題ありません。「聖書」「使徒信条」時々「聖餐式」というのが礼拝の中心となるでしょう。
 一方、カトリック教会の礼拝とは聖餐式こそが中心です。そもそも聖餐と言う野が早輝にあって、その聖餐式を行うために礼拝があるという考えです。聖餐を受けることこそがミサの目的ですから、これを外したら礼拝になりません。カトリックのミサにおいて最低限の礼拝は、聖餐式、カトリック的に言えば聖体拝領(2)だけになります。
 何故二つの教会でこんな違いが出来たのかと言いますと、この違いは聖餐式で用いられるパンをどう考えるかの違いとなります。
 カトリック教会の考えでは、聖餐式の聖体と呼ばれるパンが司祭の祝福を受けることによってキリストの肉体に変化すると考えられています(3)。聖餐とは文字通りイエス様の体をいただくことと考えるのです。聖体はイエス様の体そのものですから、勝手に教会の外に出してはいけませんし、ましてや捨てるなどもってのほかです。聖体は文字通り聖なるものなのです。
 一方のプロテスタント教会は、聖餐式のパンはあくまでイエス様の体を象徴するものとしています。区別が難しいのですが、私達が手にするパンはあくまでパンです。でも、これはイエス様のことを思って食べる特別なパンです。強いて言うならば、食べる聖霊と言うべきでしょうか。確かに大切ですが、カトリックの考えほど聖なるものと考えていないのが特徴となります。
 この違いは本日の聖書箇所二四節に書かれている「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」という言葉の捉え方の違いです。
 最初の聖餐式はイエス様の十字架の前の日、いわゆる最後の晩餐の席で行われていたことを再現するものでした。この日、イエス様は弟子達とのお別れの会として共に食事をしましたが、その際、イエス様は弟子達に渡したパンをご自分の体と言って食べさせています。
 では何故それをご自分の体という必要があったのかと言いますと、これは翌日にイエス様がかかることになる十字架に関わります。イエス様が十字架にかかることによって、人間の罪を消すのですが、その際、人に罪の赦しを与えます。イエス様がそこで人間に与えた救いを目に見えるものとして捕らえた結果、それが聖餐式のパンとなります。
 聖餐式は十字架を記念して行うものです。最後の晩餐の際にイエス様がパンを「私の体」と言った言葉を、カトリックでは文字通りのものと捉えました。イエス様の祝福を受けることによって、奇跡が起きてパンはイエス様の体に変化したと考えます。礼拝の中で起こる奇跡を目にして、それをいただくという事で、奇跡を体に入れているのです。聖餐式の旅に奇跡を体験しているのがカトリックの考えです。
 一方プロテスタント教会の場合、イエス様が与えたパンは赦しの象徴です。これをいただいたから許されると言うではなく、私達はいつもイエス様に赦しをいただいています。そのシンボルとして聖餐があると考えます。聖餐をいただいたから救われるとか、いただかないと救われないというものではありません。
 私達は常にイエス様からの聖霊を与えられています。しかし聖霊とは目に見えないものなので、実感を持ちにくいと言うこともあって、目に見えて実感のあるもの、聖餐のパンとワインは目に見える聖霊であると考えて間違いがないでしょう。
 そして大切なのはその後、二六節にあります。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」という言葉は、この聖餐を通して、あなた方がちゃんとイエス様の十字架によって救われているという事を実感していますか?と問いかけられています。聖餐式は自分自身に聖餐を受けることの意味を考えさせられるものです。
そしてその事を人々に伝えることが教会の使命であると考えるものなのです。
 イエス様の霊を受け入れているならば、それだけで私達は救われた存在となります。そして霊を受け入れるために必要なのは一つ。イエス様を愛することです。更に簡単に言えば、「イエス様ありがとうございます」と思えるならば、それだけで良いということです。二七節に「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。」とありますが、聖餐を受けるのに相応しいとは、ありがとうございますという心だけであるということですね。
 キリスト教の信仰は難しくありません。ただ神様ありがとうございますという心を持つだけなのですから。
 私達プロテスタント教会において聖餐式はまさにそれを確認するためのもので、その心をより世界に伝えていくことが教会の使命となります。
 聖餐式は大切なものです。決してないがしろにはしませんし、これからも大切にしていきます。一日も早くこの教会と、あるいは訪問聖餐が行えますよう、切に願いましょう。
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東京カルバリ教会では新共同訳聖書を用いています。
聖書箇所などはお持ちの聖書か、聖書協会のホームページをご参照ください。

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