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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

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礼拝Worship






礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二〇年 九月二〇日
 「信仰者は旅人」 ペトロの手紙一 二章 一一節~二五節

 私が東京に出てから三年半が経過しました。この間、毎月開催されているキリスト者用のカウンセリング講座に出席しています。キリスト者限定の会ですが、三分の二くらいは牧師で、様々な教派の人たちがいますので、良い情報交換の場になっています。なるだけ欠かさずに出席していましたが、今年は新型コロナウイルスの影響もあって、四月から休止しており、先週やっと再開しましたので出席してきました。
 それぞれの教会が苦しさを抱えていますが、それぞれに工夫を凝らしていることが分かりました。いくつか参考になったものもありますので、この教会に役立てることが出来るよう頑張りたいと思います。
 そこでお話しの中で出たのですが、牧師にとって自粛期間中の辛さを感じるのは人と会えないということであると。特に教会員の葬儀ができなかったことを悔やんで折られる先生もおりました。
 これも一つの試練と捉えましょう。これまで教会が味わったいくつもの試練の一つとして、そして今耐えつつそれに立ち向かうべき試練として。試練には立ち向かいましょう。それが教会の進歩となることを信じて。
 試練は常に教会に与えられます。キリスト教は世界宗教ですが、そこに至るまで大変な歴史もありました。聖霊によって教会は出来ましたが、その後は苦難の連続です。エルサレムで活動していた時はユダヤ教によって迫害され、外に出ると今度はローマによって迫害を受けてしまいます。その中で何度も駄目になりそうになったようですが、その度ごとに奇跡的な出来事で生き残りました。これも又神様がちゃんと道を用意してくださったからなのでしょう。弟子達はそれを信じて伝え続けていきました。
 ただし、闇雲に伝道していたのではないことが聖書の端々から見えてきます。伝道もやりかたを考えて行っていたことが分かります。それは例えば本日の聖書箇所に書かれているようなことです。
 一三節と一四節を読みますと、「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。」とあります。これはローマ皇帝の言うことには従いなさいという意味になります。
 これに違和感を覚える人も多いかと思います。本来教会が崇めるべきはイエス様だけです。ローマ皇帝を崇めるようなことはしません。それなのに、わざわざ皇帝に従えと書くのは、信仰的に観てどうかと思う人がいても不思議では無いというか、当然そう思うだろうと思われます。しかし実はこれは何通もの書簡を通して語られています(1)
 この意味は、一つには生活していくにあたって、秩序の中心としてローマ皇帝がいるならば、それに従うことで、立派な生活を送りなさいという意味になります。
 当時の教会は結構過激な人がいたとも言われています。従うべきはイエス様のみというのは良いのですが、イエス様に従うならば、他のものには一際従ってはならないという過激なことを言う人もいたようです(2)。つまり法律とか秩序とか、そういうものを無視しろという人です。変な理屈に見えるかも知れませんが、宗教というのは、こう言う暴走をしてしまうことが時々あるものです。今からもう二五年も前になりますが、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした時、彼らは人を殺すことで魂を救済するのだと言っていたそうです。教祖様に従うことを最優先し、社会のルールに従わなくなると、下手すればこうなってしまうということです。
 それに社会のルールに従わなくなると、過激で危険な宗教だと思われてしまうことから、誰も近寄らなくなります。イエス様のことを伝えるに当たり、キリスト者は普通の人であるということが重要だったという事ですね。だからこそ、基本的に社会のルールに従いなさいとされました。本日の聖書箇所はペトロの手紙で、イエス様の弟子ペトロが書いた手紙とされますが、もう一人の書簡記者であるパウロもローマの信徒への手紙一二章一節と二節で「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。」と言って、法律に従いなさいと言っています。
 法律は住む国や場所によって違ってきます。それぞれが住んでいる地域での法律をきちんと守ることで、あなた方は他の人の目から見て立派に生活していることを見せなさいということです。そこを強調することで、信仰者こそ、その国の中できちんと生活すべきだと言っているところです。
 イエス様のことを伝える際、キリスト教は怖い教えではないし、むしろ他の人たちと較べても立派な生活をしていると思わせることを伝道につなげることを考えていたのでしょう。
 しかし、それでもキリスト教は社会から見ると好ましくないというか、良く思われないところもあったようで、本日の聖書箇所一二節には「また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」と書かれています。当時キリスト教がどのように思われていたのかがよく分かるところですが、当時のキリスト者は悪人呼ばわりされていたことが分かるところです。
 そんな状況の中でもしっかりと生きなさいというメッセージになっていますが、同時にこれは、この時代がどんなに生きるに辛い社会だったとしても、あなた方には希望がありますというメッセージにもなっています。
 更にここにはもう一つの意味があります。
 最初の一一節を読みますと、「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」と書かれています。ここで「あなた方は旅人」と語られています。旅人とは、そこに属していない人という意味があります。この世界にあって、私達は本来この世界に属する人ではないと語られています。
 神様を信じると言うことは、今生きている時代を超えたところに本当の希望を持つと言うことであり、現在私達はこの地上で旅をしているとも言えます。天の国とは私達の故郷であり、そこに帰ることが目的とも言えるでしょう。
 私達は旅人であり、異邦人である。ならば旅の間は快適な旅行できるように、ルールに従っていきましょうという意味です。礼儀を持って旅をするならば、その旅は良きものとなるでしょう。でも、旅が終わったら私達は我が家へと帰ります。我が家とは私達が本来属する場所です。天の国を目指して歩むとは、故郷へと向かうことです。そこで重荷を下ろすために、しっかり旅を行っていきましょう。


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