本文へスキップ

荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

電話でのお問い合わせはTEL.03-3894-7565

〒116-0002 東京都荒川区荒川5-47-4

礼拝Worship






礼拝説教 message

一月一五日 東京カルバリ教会説教 笠間良牧師
 「サマリアの女性」 ヨハネによる福音書 四章一六節〜二六節
 新年二回目の礼拝となりました。改めて今年は、多くの人に神様のことを伝える事を最大の目標にしていきたいと思っています。神様を必要とする人は世界に本当に大勢いますが、その人達に伝えられる福音伝道を目指していきましょう。
 神様を必要とする人の動機は様々だと思いますが、その大きな目的はこの世界でよりよく生きたいという思いとなるのかと思っています。だからこそ教会はそれを受け止めていくこと。そしてその思いを神様につなげていくことが教会の役割でしょう。
 勿論その中には私たち自身も含まれます。神様と共に、この世界をちゃんと受け止めてよりよき世界を作っていきたいものです。
 本日の聖書箇所は先週からの続きでサマリアの女性とイエス様の対話からなっている部分です。先週はイエス様が与えられる水が、人の心を潤すものであると言う事を学びました。本日は少し視点を変え、このイエス様とお話ししている女性について考えて観たいと思います。
 先週もお話ししましたが、エルサレムで活動しておられたイエス様は大急ぎで故郷のガリラヤに戻ることになりました。最短距離はサマリアという街を通る道で、イエス様はその道を選びました。しかし実はサマリアを通る道というのは、通常ユダヤ人は使わない道でした。何故ならユダヤ人はサマリアという場所と、サマリア人を大変嫌っていたからです。
 では何故そんなに仲が悪いのでしょうか。
 サマリアというのは歴史的に見ると結構重要な場所です。かつてイスラエルという国は南北二つに分かれました。南のイスラエルはやがてユダヤと呼ばれるようになりましたが、そこではエルサレムを首都としていました。一方北王国はサマリアを首都とした国を作ります。この二つの国は時に協力したり、時に敵対したりしていたのですが、北王国の方はアッシリアという国と戦争をして滅ぼされてしまいました。その後サマリアはアッシリアによって他の国の人々が強制移住させられました。これは当時の中東での戦争はそういうものです。支配した国の人々を強制的に他の地方に住まわせることで、土地と切り離して反抗する気持ちを失わせるというやり方です。
 その結果として、サマリアの街には様々な人々がやってきたのですが、それぞれに違った地域の宗教の人たちがやってくることになります。その内にそれらが混じり合って新しい宗教を作り出してしまいます。同じ神様を信じてはいても、いろんな宗教の要素が混じり込んだものになってしまいました。
 イエス様の活動していた時代、サマリアはユダヤの中に編入されていたのですが、神様への純粋な信仰を最も大切にするユダヤの民にとって、そういった余計な宗教が入り込んだサマリアの人たちをとても嫌うようになりました。ユダヤ人にとっては、同じ神様を信じていたとしても、教えが異なるという理由でサマリア人が許せなかったのです。
 自分たちと生活習慣が違う人たちを嫌うということは現在も厄介な問題ですが、昔から続いてきた人間の業というものかもしれませんね。
 そう言う理由があって、サマリアとユダヤは大変仲が悪くなってしまったのですが、圧倒的多数のユダヤ人に対し、ほんの僅かな地域のサマリア人ですから、当然差別されるのはサマリア人の側になってしまいます。
 聖書ではルカによる福音書一〇章二五節以下の良きサマリア人であったり、本日のようなサマリアの女の話であったり、サマリアというのが差別される人たちと考えられているのはそういう意味があります。
 更にこの女性についても考えておくべきでしょう。今この会話をしているのはお昼くらいとされています。その時に水くみに来たということですが、実はこれだけでもこの女性の立場が分かるものです。この当時の中東では、一日一回水を汲んで、それを丸一日使います。水を一番必要とするのは朝ですから、水くみは基本的に早朝に行うのが通常です。昼にわざわざ井戸に行って水を汲む人はいません。
 この女性は、昼に水くみに来なければならない立場の人。つまり、人目を憚り、こっそりと生きなければならない人ということになります。理由は聖書から推測されます。一六節以下を観てみますと、「イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」」というやりとりが書かれています。どうやら彼女は男女の倫理的な意味で好ましくない女性とされているようです。連日ワイドショーなどで不倫騒動が日本でもありますが、当時のユダヤ社会ではそんなレベルではありません。姦淫の罪は石打で殺されても文句言えないのですから。そんな中にあるこの女性は、ほとんど誰からも相手にされないという状況であったと思われます。
 彼女のことをイエス様ははっきり分かっていましたが、敢えてその彼女に最初に声をかけられたのは、まさしくイエス様のご計画であったとも言えます。二三節に「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」と語っておられるのは、彼女のような存在こそが、信仰者の中心となるべき存在であると言うことになります。
 一般的には、彼女の立場は最低です。しかし、どんな立場の人でも、心から神様を信じる事によって救いに入ることができるということが重要であるとされているのがここで語られる部分なのです。
 神様の救いに入るというのは、どんな立場でも構わないと言う事。ただ必要なのは心から神様を信じるという、ただその一点である事をイエス様はここではっきりと宣言しているわけです。
 私たちは欠けの多い人間で、人間的には褒められないような部分も多々持っている存在ですが、そんな私たちが救われているのは、ただひたすら神様を信じる事が出来るからに他なりません。
 私たちが伝えるべき福音とは、結局はこれになるかと思います。神様を信じる事が出来れば、そこに救いがあります。もの凄く単純なことです。その単純なことを伝えるために数々の言葉を用いますが、本質はとても単純なものです。福音は誰にももたらされます。ただその福音を心から受け入れる気持ちを持つことが、救いの第一歩。これは最初に言ったように、世界を受け入れる事でもあります。神様を受け入れることは、世界を受け入れることです。
 実際、この箇所ではこの女性は地域の人々にイエス様の事を伝える役割を担うようになりました。救われた喜びを共に味わうために彼女は伝道者になれたのです。
 救いの喜びを伝えるものこそ伝道者と呼ばれるものです。私たちも又、伝道者として活動していきたいものです。
東京カルバリ教会では新共同訳聖書を用いています。
聖書箇所などはお持ちの聖書か、聖書協会のホームページをご参照ください。

TOKYO CALVARY CHURCH東京カルバリ教会

〒116-0002
東京都荒川区荒川5-47-4
TEL/FAX  03-3894-7565
info17@karubari-church.org
facebookページ