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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

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礼拝Worship






礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二〇年 六月七日
 「福音書記者ヨハネ」 ヨハネによる福音書 二一章 二〇節~二四節

 本日から六月の礼拝となりまして、礼拝再開の第二週です。本来であれば四月末に教会総会が開かれるはずだったのですが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で礼拝もお休みとさせていただいていました。そのため総会が開けないままです。実は役員会の方でお話をしておりまして、今年から礼拝の中で皆様のお話を聞く時、つまり証を取り入れようと考えております。それが総会資料に載っていましたが、改めて総会を開いた時にそのことをお話ししましょう。
 説教と較べると証というのは結構大変ですが、ちゃんと意味があるものです。
 説教と証は少し違います。どちらもイエス様についてお話しをすることは同じなのですが、大きな違いは、説教というものは基本的に聖書のお話しをするものなのに対して、証というのは自分と神様の関係について話をするものです。簡単に言ってしまうと、説教というのは「聖書にはこう書かれています」ということをお話しする事であり、証とは、私が実感している神様の恵みはこういうものである。ということをお話しすることです。基本的に毎週礼拝で牧師が話をするのは説教です。プロテスタント教会の礼拝の中心となるのが説教ですが、証があると、礼拝は豊かなものになります。(1)(2)
 説教というのは、イエス様についての学びで、イエス様を理解するために大切なものです。一方、私たちは日々の信仰生活の中でイエス様と共に生きていますから、イエス様との関係性が出来ます。それについて語るのが証となります。神様と人の関係性は一人一人異なりますので、他の人が神様からどんな恵みをいただいているのかを聞くことも、信仰生活を送る上では大切なものです。
 先週はペンテコステの礼拝で、二一章一五節から一九節までについてお話ししましたが、そこではイエス様がペトロに対して教会の重要な役割についてお話しされていました。
 その直後となる本日の聖書箇所では、もう一人の弟子にも重要な使命をお与えになっています。その弟子の名前はヨハネと言います。この福音書を書いた人物のことです。
 福音書の後半になると、徐々に著者ヨハネは自己主張をはじめます。特にイエス様の十字架の際、彼にしか聞こえないイエス様の声を聞いたとか、明らかにヨハネ個人の話も挿入されていますし、ヨハネは自分の事を「イエスの愛しておられた弟子」と言っていたりもします。自己主張がどんどん強くなっています。
 今回の聖書箇所でも見てみますと、二〇節で「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。」とあって、どれだけイエス様に愛されていたかと言うことを強調していますし、二四節には「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」とあり、「わたしがこれを書きました」とはっきり言った上で、「これは本当のことです」と言っています。大変自己主張の激しい人物に見えますね。
 しかし単なる自己主張で終わるものではありません。ヨハネにもちゃんと使命が与えられています。
 二一章一五節以下で(3)イエス様がペトロに対して「わたしの羊を飼いなさい」と言っていました。ペトロにははっきりと命令を与えています。
 そして命令を受けたペトロですが、二一節でペトロはヨハネを指さして「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と尋ねています。この言葉だけだとはっきりしませんが、ペトロが言おうとしていたことは、「私には羊を飼うという使命が与えられましたが、あなたの愛するヨハネにはどんな使命が与えられるのでしょうか?」という問いです。
 それに対してイエス様の答えが二二節に書かれています。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」。そのままこれを読みますと、イエス様が再びこの世界に戻られるまでヨハネは生き続けると読めます。おわかりの通り、未だイエス様の再臨の時は来ていませんので、ヨハネは今も生きていると言っている人もいます(4)。しかし別段ヨハネは死なないと言っている訳ではありません。実際にヨハネは他のでしたと較べると長生きはしたようですが、百歳には到達できずに亡くなったとされます。
 ここでイエス様がお話ししておられることは、「私はあなたに使命を与えた。他の者にどんな使命を与えたのかはあなたとは関係がない」と言ったところでしょう。自分と人を較べるなという意味です。同じ弟子であっても、ペトロとヨハネには違った使命が与えられているのですから、それをうらやんだり、詮索する必要は無いという事です。
 ではペトロとヨハネではどんな違いがあったのでしょうか。
 ペトロの場合、その使命はいくつもありました。これからのペトロの生き方は、まずエルサレムで教会を作り、そこで牧会者となること。その後に伝道者として世界へと向かい、最後はローマで殉教の死を迎えます。ペトロに託されたものは、伝道と教会を守るという二つのことが託されました。言うなれば教会の指導者になれという命令で、それはまさしく牧会者そのものの姿です。
 それに対してヨハネの場合は二四節に書かれています。「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」つまり彼の使命とは、この福音書を書きあげることそのものにありました。それはつまり、ヨハネが自分の目で見たイエス様を伝えることが使命であったということになります。
 イエス様の与える使命とは、人それぞれに違ってきます。ある人は伝道に、ある人は牧会に、そしてある人は信仰を守るために。それぞれが違う、そして複合的な使命を与えられていくものです。
 最初に私は説教と証の違いについてお話ししましたが、これはペトロとヨハネの違いでもあります。ペトロの場合、イエス様の御言葉と、信仰者としてのあり方というものを伝えるため、「キリスト教というのはこう言うものだ」と伝えるために、説教的なものを伝える使命があります。
 一方ヨハネの場合、「私と触れあってくださった。私から見たイエス様の姿を伝えます」ということで、証に近い伝え方をしています。それらはどちらも大切なものです。それがイエス様から託されたそれぞれの使命なのです。
 私達一人一人に、それぞれの方々に合った形で使命を与えれていくものです。私達一人一人、いったいどんな使命が与えられているのかを考えていくことも信仰生活の大切な部分となります。教会というのは、神様との出会いの場ですが、単に出会うだけではなく、神様から生きるための大切な使命を与えられる場でもあることを忘れないようにしていきましょう。一人一人に使命は与えられますし、それはその人にしか出来ない事です。
 それを知る方法は、イエス様に常に語りかけることです。礼拝と祈り。それが私自身の使命を知る最良の方法です。
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