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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

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礼拝Worship


礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇二〇年 一二月 六日 第二一七〇号
 「主が来られる時」 イザヤ書五九章 一二節~二〇節

 本日蝋燭の火が二つ灯りアドベントの第二週を迎えました。先週は飾り付けも皆さんのお手伝いで行う事が出来ました。教会前のクリスマスツリーも今年は皆さんのおかげで最後の飾り付けが出来ました。感謝します。
 クリスマスと聞いてイメージするのは私達にとってはイエス様のお誕生をお祝いする日となりますが、一般のイメージからすると、連想される人物はイエス様ではなくサンタクロースでしょうね(1)
 ちなみに子どもに夢を与えるためとして、サンタクロースは実在しまして、フィンランドに事務所があります(2)。今年はコロナがあって、サンタクロースはどうなるのかとインターネットで検索してみたところ、事務所からはクリスマス自体は中止しないと宣言されたそうです。ただ、毎年行っている世界中の国々にサンタクロースを派遣するのは今年は中止だそうで、公式のサンタクロースは残念ながら来られないそうです。
 サンタクロースが世界中の子ども達に持って行くのはプレゼントです。クリスマスにプレゼントがもらえるというのは、聖書的に言っても間違いではありません。ただし、食べ物やお金などと言った物理的なプレゼントが与えられる訳ではありませんし、与えてくださるのもサンタクロースではありません。
 与えてくださるのはイエス様。そして与えてくれるものとは命です。私達にとっては、そちらの方がしっかり受け止められるものとなります。
 イエス様の与えてくださる命とは、私達がこの世界で消費する命とは違います。私達が世界に生まれた時には自分自身の命が与えられますが、それはやがて消費され寿命と共に消えてしまうものです。
 対してイエス様が与えてくださるのは、朽ちることのない永遠の命です。イエス様を知る私達は、自分自身の消費される命と共に、イエス様が与えてくださる命を同時にいただいています。その与えられた命の分、私達はこの世界で充実した生き方が出来ると言えますし、この世界での命を失っても、消えることがない命が与えられていますから、やがて永遠の命が与えられると信じることで、より生きていることに感謝を覚えるようになれるかと思います。
 結論から先に言ってしまいましたが、クリスマスのお祝いとは、イエス様によって命が与えられたことへの感謝という意味があります。私に命をプレゼントしてくださってありがとうございます。それがクリスマスの感謝となります。
 イエス様をこの世界に下してくださったのは神様ですが、神様がイエス様を地上に下すまでには歴史があります。
 旧約聖書を見ますと、最初の神様と人との関わりは、エデンの園からです(3)。そこで最初の人アダムとエヴァは神様を裏切ってしまいましたが、裏切った際、悪の心が人の心の中に入り込みました。これによって人は神様から引き離されてしまいました。実は神の国というのは、心に罪を一切持たないものだけが入れる場所で、永遠の命というのも、罪を一切持たない人だけがもらえるものだったのです。罪のあるものは入ることができない場所です。
 罪を一切持たない人がこの地上に存在したかと言いますと、一人としていません。どれほど素行が良く、聖人君子みたいな人がいたとしても、その人もやはり罪を負っています。アダムの罪は子孫にずっと引き継がれるものだったからです。当然私達もそうです。
 では神の国に誰も入れなかったのかと言いますが、そうでもありません。聖書を読みますと、確かに神様から使わされて、かつて生きていた人が天から降るという描写があります(4)。それは何故かというと、神様が直接神の国に引き上げてくれるなら行けたのです。神の国に人は自分の力ではいる事は出来ません。ただ神様が直接引き上げてくれる時に限って神の国に入れるようになります。旧約聖書には何人かそのようにして神の国に入った人がいたと伝えられています。
 言い換えると、神様が罪を赦してくださるならば、罪を負った人間も神の国に入り、永遠の命を受け取ることが出来るようになります。神様が許すという、その部分が重要なのです。
 本日の聖書箇所を観てみますと、一二節から一五節まで、地上にいる人間は皆罪の中にあって、神様から遠く離れてしまったという嘆きが語られています。一五節を読みますと「まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。」とあります。神様の目に悪とされる人ばかりになってしまったという意味です。
 それは何故かというと、神様とのつながりを忘れてしまい、自分勝手に生きるようになってしまったからとされます。
 そんな人たちを再び神様の元へ導く人が必要であると描かれています。一六節を見ますと、「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。」とあります。人が悪に染まったのは、神様と人とをつなぐものがいなくなったから。人を神様の元へと導く人が必要だと思ったとされています。むしろその時が来たと考えられたのでしょう。だから神の国と人の国を取り次ぐ人物を地上に降ろすことをここで約束されたのです。
 その約束に従い、世界に来られたのがイエス様となります。イエス様は人の世界と神様の国をつなぐためにこの世界へとやってこられたのです。イエス様の使命は二つあります。一つは私達が神の国に入る方法を作ること。それはイエス様の十字架がそうです。イエス様が全ての人の罪を自ら背負って生け贄になることで、人の罪を赦したのです。人の罪は消すことが出来ません。しかしイエス様の赦しによって罪赦されたものとして天の国に迎えられる資格を得たという事です。
 そしてもう一つが天の国の入り方を伝えることでした。それは神様から与えられる聖霊を心で受け止めることです。イエス様を心から信じたその時、神様から聖霊が私達に与えられます。その聖霊は私たちの心に入り、魂と結びつきます。そこで私達は新しい命を受け取ることが出来ます。
 二〇節に「主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる。」とありますが、自らの罪を悔い改め、イエス様を信じる人を神の国へと連れて行くためにイエス様はこの地上へと下すのです。
 イエス様によって贈られたプレゼントは、神様から命が与えられ、私が救われたものになったという事。その事に感謝してクリスマスを迎えましょう。
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