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荒川区 荒川 町屋にある教会。東京カルバリ教会です。

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礼拝Worship






 説 教:  「故郷の主」

聖 書: ヨハネ 7:1-9

讃美歌: 80132385
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礼拝説教 message

東京カルバリ教会説教 笠間良牧師 二〇一八年六月一七日
「残った弟子たち」 ヨハネによる福音書 六章六六節〜七一節

 信仰者のことを「主の民」もしくは「神の民」と呼ぶことがあります。
 これの意味する事は二つあります。一つはイエス様を信じるという意味で。もう一つはイエス様を目指すという意味で用いられます。
 イエス様を信じるというのは言うまでもありませんが、イエス様を目指すというのは、イエス様のような預言者になれという意味ではなく、イエス様が聖書でお語りになったことを実践するよう努力するという意味です。これを教会用語で言うならば、「主に近づく」という言葉を用います。イエス様がお話になったことを行う。若しくはイエス様がしたことを教会もしていくということで、イエス様の生き方というものに近づこうとすることです。イエス様が行ったことで、出来る事を私たちもしましょうとも言えますね。これは教会にとって大切な事で、イエス様の教えを実践しようと努力する教会とは、即ちそれは活気のある教会と言って良いです。その姿勢を忘れないようにしていくことも教会の努めでしょう。
 それがこれまで教会が社会に関わってきたことの意味です。例えば現在社会で苦しんでいる人たちを助けましょうという運動の大部分は教会から始まっています。これは人を助けなさいと言うイエス様の教えの実践であり、実際に弱き人を救ったイエス様の行いを真似ることでなされてきました。教会が社会につながると言う事は、イエス様の行いを目標にすることです。これも大切な事です。
 勿論、何でもかんでもイエス様の真似は出来ません。奇跡を使って人を癒やしたり、水の上を歩くような真似は、基本的には出来ません。この点に於いて私たちが出来ることは、ただ神様に祈ることだけです。
 そして、イエス様の真似をしてはいけないという部分も聖書の中にはいくつか存在します。今までイエス様の真似をすることが重要と言っておいて、逆のことを言うために混乱するかも知れませんが、聖書の中には確かに何カ所か、イエス様の通りにしてはならないという部分があります。そして本日の聖書箇所は、そんな数少ない、イエス様の通りにしてはいけないという部分を示すところです。
 今私たちはヨハネによる福音書の六章を学んでいますが、ここではイエス様はご自分のことを命のパンであると言っています。
 ところがこの言葉を聞いた人々は、あまりにも訳の分からないことを言うとして、イエス様の元を去ってしまいました。残されたのは僅かな弟子達となります。
 イエス様がここで多数の人々に、敢えて分からない話をしたのは、それでも私に付いてくる人はいるのか?という問いかけだったのかも知れません。今は分からなくても、後で分かるようになるという希望を持っているのか、もしくはイエス様を神様の子と信じ、どんなことを言われてもついて行こうと思った人か。何千人かの人たちがここにはいましたが、その中で本当に弟子になれる人は一二人しかいませんでした。
 イエス様はここで選別を行ったと思ってみても良いでしょう。弟子となった彼らは必ずイエス様の後を継いで神の国を伝えてくれるし、今は分からなくても、やがてイエス様の言った意味を全て理解してくれるはずだからです。
 ですから、どんな試練にも負けずに付いてくる弟子を選ぶことは正しいことでした。
 残ることを決めた弟子の一人ペトロは六八節で言っています。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と。彼らはイエス様の言葉を理解していた訳ではありませんが、イエス様が本当に神の子であると信じ、自分の人生を賭けてついて行くことを決意した人たちです。
 その中には裏切りを働くイスカリオテのユダも入っているのですが、彼も又、イエス様の復活には必要な人物ですので、イエス様はそのことを知りながらちゃんと弟子の中には入っています。
 これによって、はっきりイエス様の弟子が決定されたと言う事になります。ここからイエス様の十字架への道行きがはっきりしてきたということになりますね。
 さてそれで最初の問いに戻りますが、今回イエス様がしたことは、私たちが真似してはいけないことになります。何が駄目なのかと言いますと、聞いている人が分からないことを語ることと、ついてくる人を徹底的に選別するということです。何千人もいながら、その中でほんの一握りである一二人だけを残すなんてことは、教会ではしてはいけないことの筆頭です。
 イエス様が何故こんなことをしたのかと言いますと、イエス様の言葉というのは、十字架と復活の出来事を通さないと理解出来ないからなのです。十字架と復活によって、イエス様が本当に神の子である事が分かり、そしてイエス様が聖霊というものを用いてご自分の霊をみんなに与えてくださる。それこそが命のパンです。
 これらは十字架と復活があって初めて分かることですので、いくら口で説明しても、誰も聞いてくれるものではありません。だからこそイエス様はこの時点では、このような選別するような弟子選びをするしかなかったのですね。
 例えばどんどん奇跡を見せて多くの人々について来させることも出来たでしょう。神の子としての力を見せれば、どんな人でもついてきます。
 でも敢えてそうはしません。何故なら、イエス様の目的とは、全ての人が神様を信じて永遠なる命を得ると言う事だったからです。十字架と復活の出来事を知り、そこからイエス様を伝えてくれる弟子達を作ることが目的だったからです。
 イエス様の十字架と復活の後、イエス様が弟子達に期待したのは、イエス様が今行ったような、厳しい選定ではありません。逆です。弟子達がなすべき事は、多くの人たちを呼び、分かりやすくイエス様の事を伝え、全ての人たちにイエス様の事を知ってもらうと言うことです。より多くの人たちにイエス様の事を知ってもらう。聖霊を受け取ってもらう。そして自分は救われていると言う事を知ってもらう。全ての人にイエス様を伝えることこそが弟子の使命です。
 そのために教会が存在します。
 教会とは、多くの人々を招き、ここでイエス様を伝え、ここで共にイエス様の聖霊をいただき、永遠なる命というものを知っていくこと。人を選別するのではなく、全ての人にその素晴らしさを伝えていくべき場所です。
 ここでイエス様がされたこととは真逆ですが、これこそ、イエス様が望まれた伝道です。私たちはその道に従って歩んでいきたいものです。
東京カルバリ教会では新共同訳聖書を用いています。
聖書箇所などはお持ちの聖書か、聖書協会のホームページをご参照ください。

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